編み物の数学:目数計算に潜む円周率・等差数列・双曲幾何学
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この記事で分かること(3行まとめ)
- 棒針の号数は等差数列(公差0.3mm)で並んでおり、号数を見れば太さがわかる数式がある
- かぎ針の円編みで毎段6目増やすのは、円周率2π ≒ 6.28を整数に丸めた結果
- 双曲面、メビウスの輪、三角形の収束——編み物は手で触れられる数学の宝庫
「編み物って、意外と数字や計算が多いなぁ…?」
編み物をしたことがある人なら、一度は思ったことがあるはず。目数の計算、増し目の間隔、ゲージの換算——編み物は手芸のなかでも、数字と向き合う場面がやたら多いです。
そもそも、毛糸は1本の「線」——つまり1次元です。それを編むことで2次元の布になり、増し目や減らし目を駆使すれば、編みぐるみのような3次元の立体にもなる。 1次元から2次元、2次元から3次元への変換。考えてみれば、編み物は概念的にも数学と親和性が高いのです。
編み図の表編み・裏編みを0, 1を表していると考えると、ビット(2進数)ですし——。
そんなことを思いながら調べてみると、潜んでいる数学は「次元の変換」だけではありませんでした。棒針の号数に等差数列、円編みに円周率、フリルに双曲幾何学。数学者が論文を書くほどの構造が、編み目の中に隠れていたのです!!
結論:編み物は「手で触れる数学」
先に結論をお伝えします。編み物には、以下のような数学が潜んでいます。
| 編み物の場面 | 隠れている数学 | 詳しく |
|---|---|---|
| 棒針の号数 | 等差数列 | 数列セクション |
| 「1号で5%」の通説 | 0.3 ÷ (d+t) | Tips |
| 編み込み模様 | 数列・mod演算 | パターンセクション |
| かぎ針の円編み | 円周率(2π) | 深掘り① |
| フリルの形状 | 双曲幾何学 | 深掘り② |
| ミトンの減らし目 | 三角形の収束 | 深掘り③ |
| メビウスの輪編み | 位相幾何学 | 深掘り④ |
一つずつ見ていきます。
【数列】棒針の号数は等差数列
日本の棒針:aₙ = 2.1 + 0.3n
日本の棒針の号数と太さを並べると、きれいな規則が見えてきます。日本の主要メーカー(クロバー、チューリップ等)が共通で採用している号数体系です。
| 号数 | 太さ(mm) | 前の号との差 |
|---|---|---|
| 1号 | 2.4 | — |
| 2号 | 2.7 | +0.3 |
| 3号 | 3.0 | +0.3 |
| 4号 | 3.3 | +0.3 |
| 5号 | 3.6 | +0.3 |
| … | … | +0.3 |
| 15号 | 6.6 | +0.3 |
はい、公差0.3mmの等差数列ですね。n号の太さは次の式で求められます。
aₙ = 2.1 + 0.3n (mm)
3号なら 2.1 + 0.3 × 3 = 3.0mm。10号なら 2.1 + 0.3 × 10 = 5.1mm。
初項の2.1と公差の0.3を覚えておけば、暗算で太さがわかります。
かぎ針は等差数列ではない
「じゃあ、かぎ針も同じ?」と思うかもしれませんが、かぎ針の号数は等差数列ではありません。
| 号数 | 太さ(mm) | 前の号との差 |
|---|---|---|
| 2/0号 | 2.0 | — |
| 3/0号 | 2.3 | +0.3 |
| 4/0号 | 2.5 | +0.2 |
| 5/0号 | 3.0 | +0.5 |
| 6/0号 | 3.5 | +0.5 |
| 7/0号 | 4.0 | +0.5 |
| 8/0号 | 5.0 | +1.0 |
| 9/0号 | 5.5 | +0.5 |
| 10/0号 | 6.0 | +0.5 |
差が0.2、0.3、0.5、1.0mmと不規則です。棒針のような一つの数式では表せません。
なぜこうなっているのか。かぎ針は棒針と違い、1本の針で編み地の厚みも決まります。太い領域では細かい刻みよりも「使いやすいキリのいい太さ」が優先されたのかもしれません。理由について正式な文献は見つかりませんでしたが、実用性が数学的な美しさに勝った例と言えそうです。
世界の棒針規格:日本の整然さは例外
実は、棒針の号数が等差数列になっているのは日本だけです。
| 規格 | 号数の刻み | 等差数列? |
|---|---|---|
| 日本 | 0.3mm刻み | ✅ |
| アメリカ(US) | 不規則(0.25〜0.5mm) | ❌ |
| イギリス(UK) | 不規則・号数が太→細で逆順 | ❌ |
| メトリック(mm) | mm表記そのまま | — |
アメリカの号数は0(2.0mm)から始まり、US1 = 2.25mm、US2 = 2.75mm、US3 = 3.25mm……と刻みが一定ではありません。イギリスに至っては号数が大きいほど針が細くなるという逆順で、初心者泣かせです。
日本の号数体系が等差数列になっているのは、世界的に見ると珍しい整然さです。
等差で本当にいい?等比数列のほうが良い説
ところで、「0.3mm刻みの等差数列」は本当に合理的でしょうか?
佐倉編物研究所のブログ記事では、等差数列より等比数列のほうが合理的ではないかという考察がされています。
理由はこうです。ゲージ(10cmあたりの目数)は針の太さにおおむね反比例します。細い針では0.3mmの差でゲージが大きく変わりますが、太い針では0.3mmの差はほとんど影響しません。
つまり、「ゲージの変化量を均等にする」なら、等差数列(一定のmm差)ではなく等比数列(一定の比率) のほうが理にかなっているのでは?という議論です。 筆者の感覚では、音階の「12平均律」(隣り合う音の周波数比が一定)と同じ発想だと感じます。
実際に編んでみるとこの差は体感できます。細い針(5号→6号)では0.3mmの差でゲージが目に見えて変わりますが、太い針(13号→14号)では同じ0.3mmの差でもゲージはほとんど変わりません。太い領域では号数を1つ変えても実用上の差がないのです。
針の太さだけを見れば、等比数列のほうが合理的に見えますね。
さて、せっかくなのでもう1段階、深掘りしてみましょう。
【Tips】「1号変えると5%変わる」は本当か?
編み物界隈では、「同じ糸で針を1号変えるとサイズが約5%変わる」 という通説があります。筆者もゲージを編むのがめんどくさい時に簡易的に大きさ調整をする時によく使う経験則ですが、数学的に成り立つのか検証してみました。
STEP1 針の太さだけで見ると成り立たない
まず、針の直径だけで増加率を計算してみます。
| 号数変更 | mm変化 | 直径の増加率 |
|---|---|---|
| 0→1号 | 2.1→2.4 | +14.3% |
| 3→4号 | 3.0→3.3 | +10.0% |
| 5→6号 | 3.6→3.9 | +8.3% |
| 10→11号 | 5.1→5.4 | +5.9% |
| 13→14号 | 6.0→6.3 | +5.0% |
| 14→15号 | 6.3→6.6 | +4.8% |
表を見ると、5%になるのは13号付近だけです。細い号数ほど増加率が大きくなりますね。これはまさに「等差数列だから増加”率”が一定にならない」という話の具体例です。
STEP2 糸の太さを加えると景色が変わる
さて、棒針の太さが変わると、もう一つ変わる変数があります。それは糸の太さです。
普通は、棒針の太さに合わせて棒針に合う太さの毛糸を選びます。 もしも、棒針の太さを変えたのに糸の太さを変えないままだと、編み地が詰まりすぎて硬い生地になったり、穴が開きすぎてレース編みのような編み地になってしまうからです。
編み目の幅を簡略化して数式にしてみましょう。
ステッチ幅 ≈ k(d + t)(d = 針の直径、t = 糸の直径、k = 定数)
1号上げたときの変化率は 0.3 ÷ (d + t) です。糸の太さが分母に加わることで、号数ごとの変化率のばらつきが圧縮されます。
STEP3 現実の組み合わせで検証
毛糸の太さによって推奨される針の号数はだいたい決まっています(極太の毛糸を細い針では編みにくく、逆に細い毛糸を太い針で編むと編み目がスカスカになる)。そこで、糸と針の「推奨の組み合わせ」で計算してみます。
| 糸の太さ | 糸径 t(mm) | 推奨針の中央 | d + t | 変化率 |
|---|---|---|---|---|
| 合細 | ≈ 1.5 | 2号(2.7) | 4.2 | 7.1% |
| 中細 | ≈ 1.8 | 3号(3.0) | 4.8 | 6.3% |
| 合太 | ≈ 2.2 | 5号(3.6) | 5.8 | 5.2% |
| 並太 | ≈ 2.7 | 7号(4.2) | 6.9 | 4.3% |
| 極太 | ≈ 4.0 | 10号(5.1) | 9.1 | 3.3% |
| 超極太 | ≈ 5.5 | 13号(6.0) | 11.5 | 2.6% |
日本で最もよく使われる**合太〜並太の中間号数で約4〜5%**です。「5%ルール」が通説として生き残っている理由が見えてきました!
STEP4 5%ルールの正体
この通説は、3つの条件が重なって成り立っています。
- 等差数列の号数体系: 0.3mm刻みという一定のmm差
- 糸の太さによる底上げ: 分母に糸径が加わり、変化率のブレが圧縮される
- 実際に微調整する号数帯: ゲージ調整で号数を1つ変えるのは圧倒的に合太〜並太が多い
つまり「5%ルールが使われる場面」と「5%ルールが成り立つ場面」が一致している。数学的に完全ではないけれど、実用上よくできた経験則です。
結局、等差と等比どちらがいい?
ここで「等差 vs 等比」の議論に戻ります。
もし棒針が等比数列(公比約1.079、0号〜15号で同じ範囲をカバー)だったら、編み地のサイズ変化率はどうなるか。並太(糸径 t ≈ 2.5mm)で比較してみます。
| 号数帯 | 等差(現行)の変化率 | 等比(仮)の変化率 |
|---|---|---|
| 細い針(0号付近) | 6.5%(大きい) | 3.6%(小さい) |
| 中間(5号付近) | 4.9% | 4.4% |
| やや太い(10号付近) | 3.9% | 5.1% |
| 太い針(15号付近) | 3.3%(小さい) | 5.7%(大きい) |
| ばらつき幅 | 3.2ポイント | 2.1ポイント |
面白いことに、等差と等比で傾きが逆転しますね!
- 等差: 細い針で変化率が大きく、太い針で小さい(右肩下がり)
- 等比: 細い針で変化率が小さく、太い針で大きい(右肩上がり)
なぜこうなるか。等比数列では針が太くなるほどステップ幅(mm差)も大きくなります。でも糸径 t は定数なので、太い針では t の「底上げ効果」が相対的に薄れ、針の大きなステップがそのまま変化率に反映されてしまうのです。
結果として、等比にしても編み地のサイズ変化率は均一にならない。ばらつき幅は等比のほうが少し小さい(2.1 vs 3.2ポイント)ものの、劇的な差ではありません。公平に見れば、精度が重要な細い針で刻みが細かくなる等比にも利点はあります。
でも、ここで思い出したいのは編み物の大原則——「ゲージは必ず取りなさい」 です。
同じ針と糸でも、編み手のテンション(手加減)や糸のロット差でゲージは変わります。だから編み物では、計算で予測するのではなく、毎回スワッチを編んで実測するのが基本。 号数の刻み方が等差でも等比でも、結局ゲージを取るなら計算上の差は実用に影響しないのです。
それなら、暗算で太さがわかる等差数列(aₙ = 2.1 + 0.3n)のほうがシンプルでいい——というのが筆者の結論です。
数学的に「最適」ではないかもしれないけれど、実用上は十分ですし、そして覚えやすさは正義です!
【パターン】編み込み模様は数列で書ける
増し目・減らし目は等差数列
セーターの袖を編むとき、「4段ごとに1目増やす」「6段ごとに1目減らす」といった指示が出てきます。
これは等差数列そのものです。
たとえば、袖の目数が40目からスタートし、4段ごとに両端で1目ずつ増やすなら:
| 段数 | 目数 |
|---|---|
| 0段目 | 40目 |
| 4段目 | 42目 |
| 8段目 | 44目 |
| 12段目 | 46目 |
初項40、公差2の等差数列です。n回目の増し目後の目数は 40 + 2n で求められます。
帽子の減らし目も同じです。頂点に向かって「6目ごとに1目減らす」「4目ごとに1目減らす」と間隔を狭めていく。等差数列の公差を段階的に変える操作です。
なお、よく見ると、肩と袖(そで)をつなぐ曲線の編み図(減らし目)は、サインカーブ(正弦曲線)になっています。
プランドプーリング——色の配置をmodで制御する
自然に生まれる色の変化を「計画的に」制御するプランドプーリング(Planned Pooling)という技法があります。
段染め糸(色が周期的に変わる糸)を使うと、普通に編むと色がランダムに散らばります。
色が周期的に変わるのは、カセと呼ばれる糸を輪状に束ねた状態で色を染めるため、多少のばらつきはあるものの周期的に色が出てくるのですが、 その色の周期に合わせて編み目を調整すると、格子模様やアーガイル柄が自然に浮かび上がる のです!
原理はmod(剰余)演算です。
色の繰り返し周期をk目、1段の目数をnとすると、各段の色の位置は mod(n, k) 目ずつずれていく。このずれ量を制御することで、色の配置パターンを数学的に設計できます。
たとえば、色の周期が20目の段染め糸で21目ずつ編むと、毎段1目ずつ色がずれて斜めのストライプが現れます。20目で編めばずれはゼロで縦のストライプ。ずれ量を変えるだけで、ダイヤモンド柄やチェッカーボード柄も作れます。
2024年のBridges Conference(数学とアートの国際学会)では、Cameron Barbら(Laura Taalmanを含む研究グループ)がプランドプーリングの数学的構造を分析した論文を発表しています。この論文ではストライプ・ダイヤモンド・チェッカーボードの3パターンファミリーを分類し、狙ったパターンを得るための目数の公式を導出しています。編み物の模様設計が、学術的な数学の研究対象になっているのです。
この「ずれ量」でパターンが変わる感覚は、言葉で説明するより実際に試すのが一番です。深掘りラボでは、色の周期と目数を設定するとリアルタイムでパターンが表示される プランドプーリング シミュレーター を公開しています。スライダーで目数を1つ変えるだけでパターンが激変する瞬間を、ぜひ体験してみてください。
プランドプーリングの数学的構造についてのさらに詳しい解説は、こちらの記事で深掘りしています。また、このmod演算の原理でどのチェック柄が再現できるか——ギンガム、タータン、千鳥格子との境界線も面白い話です。
【時間がない方へ】 ここまでで棒針の号数が等差数列であること、編み込み模様が数列として記述できることがわかります。ここからは、かぎ針の円編みに潜む2πの離散化や双曲面・メビウスの輪といった幾何学の世界を深掘りしていきます。要点だけ知りたい方は「まとめ」へどうぞ。
【深掘り】かぎ針の円編みは2πの離散化
かぎ針で円を編むとき、多くの編み方指示書にはこう書いてあります。
「輪の作り目で6目編み入れ、毎段6目ずつ増やす」
なぜ6目なのか。ここに円周率が隠れています。
6目で始める理由:2π ≒ 6.28 → 6目
以下は「1目の幅 ≒ 1目の高さ」と仮定した簡略化モデルですが、一般的にこの説明が受け入れられます。
かぎ針編みの1目は、おおよそ一定の幅と高さを持つ「ユニット」です。
1段編むごとに、円の直径は約2目分(上下に1目ずつ)増えます。円周は直径 × π なので、円周の増分は:
2 × π ≒ 6.28目
これを整数に丸めると6目。つまり、「毎段6目増やす」は2πを離散化(整数に丸める)した結果です。
| 段数 | 目数 | 理論値(2πn) | 差 |
|---|---|---|---|
| 1段目 | 6 | 6.28 | -0.28 |
| 2段目 | 12 | 12.57 | -0.57 |
| 3段目 | 18 | 18.85 | -0.85 |
| 4段目 | 24 | 25.13 | -1.13 |
| 5段目 | 30 | 31.42 | -1.42 |
段が進むにつれて理論値との差が開いていきます。これが、円編みを続けるとだんだんお椀型に丸まってくる理由の一つです。
【Tips】 実際は6.28よりもっと6に近い
上の計算は「1目の幅 ≒ 1目の高さ」と仮定していますが、実際のかぎ針の細編みは 横長 です。毛糸ラベルのゲージ表記(例:22目26段/10cm)を見ると、幅より高さの方が小さい——つまり1目の幅 > 1目の高さ。
幅が高さより大きいと、1段で増える直径は2目分「未満」になり、必要な増し目数は6.28目よりさらに6に近づきます。「毎段6目増やす」が驚くほどうまくいく理由の一つです。
増し目の位置で形が変わる:六角形→十二角形→円
毎段6目増やすとしても、増し目の位置によって形が変わります。
- 増し目を同じ位置に揃える(毎段、前段の増し目の上で増やす)→ 六角形になる
- 増し目をずらして配置する(前段の増し目と増し目の間で増やす)→ 十二角形→ほぼ円に近づく
これは正多角形の辺を増やしていくと円に近づく、という幾何学の基本と同じ原理です。「まん丸のコースターを編みたい」なら、増し目の位置をずらすのが数学的に正しい。
編み物の先輩たちが経験的に見つけた「増し目をずらす」というテクニックは、実は幾何学的に合理的な操作だったのです。
【深掘り】フリルが生まれる理由——双曲面
編み物でフリル(ひらひら)を作るには、「目数を急激に増やす」のが定石です。前セクションで見たように、平面を保つ増し目数は毎段6目(≒ 2π)。これを大幅に超えて増やし続けると、編み地が平面に収まりきらず波打ち始めます。
これは数学でいう双曲面(双曲幾何学における曲面)の性質です。
Daina Taimiņaのかぎ針モデル(1997年〜)
1997年、コーネル大学の数学者Daina Taimiņa(ダイナ・タイミニャ)は、かぎ針編みで双曲面の物理モデルを初めて作成 しました。この成果は2001年にDavid Hendersonとの共著論文として発表されています(“Crocheting the Hyperbolic Plane”, Mathematical Intelligencer, 2001)。
双曲面とは、「どの点でも負の曲率を持つ曲面」——わかりにくいので、言い換えます。平面は「余った布地がない」状態。球面は「布地が足りない」状態(だから地球儀を平面の地図にすると歪む)。双曲面は逆に「布地が余りすぎる」状態です。
余った布地が行き場を求めてひらひらする。それがフリルの正体です。
Taimiņaが画期的だったのは、それまで紙を貼り合わせて作るしかなかった双曲面の模型を、かぎ針編みで作った こと。柔軟で丈夫な毛糸のモデルは、学生が手で触って双曲幾何学を理解するのに最適でした。
レタス・サンゴ・かぎ針の共通点
フリルレタスの葉がひらひらしているのも、サンゴ礁が複雑な形をしているのも、同じ原理です。
- フリルレタス: 葉の縁が中心より速く成長する → 面積が余る → ひらひら
- サンゴ: 表面積を最大化して栄養を吸収するため → 双曲面的に成長
- かぎ針のフリル: 目数を急激に増やす → 面積が余る → ひらひら
自然界と編み物が同じ幾何学で説明できる。Taimiņaのかぎ針モデルは、その美しいつながりを可視化したのです。
【深掘り】ラトビアンミトンの減らし目と三角形
ミトンの指先を閉じるとき、「減らし目」を使います。この減らし目にも幾何学が潜んでいます。
5本針で編む理由:4辺の正方形断面
伝統的なミトンは5本の棒針(4本に目を分けて、1本で編む)で輪に編みます。
4本の針に目を分配すると、断面は正方形になります。これは「4辺の筒」を編んでいるのと同じです。
なぜ4本なのか。3本だと三角形断面になって手にフィットしにくく、5本以上だと針の管理が煩雑になります。4本 = 正方形断面は、「手の形に近い」と「扱いやすさ」のバランス点です。
減らし目が作る三角形の収束
指先の減らし目では、各針の端で2目一度(2目を1目にまとめる)を行います。4本の針それぞれで両端を減らすと、正方形の各辺が均等に短くなり、正方形が点に収束していきます。
これは数学的には「相似な正方形の列が0に収束する」過程です。1段減らすごとに各辺が2目ずつ短くなるなら、n段後の1辺の目数は:
bₙ = b₀ - 2n
b₀(最初の1辺の目数)÷ 2 段で指先が閉じます。
ラトビアのミトンでは、この減らし目の部分にも伝統模様を編み込みます。三角形に収束する限られたスペースの中に模様を配置するのは、幾何学的なパズルでもあるのです。
【深掘り】メビウスの輪を編む
Cat Bordhiのメビウス編み(2004年)
2004年、アメリカのニットデザイナーCat Bordhiは、著書『A Treasury of Magical Knitting』でメビウスの輪を編む技法を発表しました。
メビウスの輪は、帯を180°ねじって端をつないだ形。表と裏の区別がない、位相幾何学(トポロジー)で有名な図形です。
Bordhiの技法は、特殊な作り目(Möbius Cast-On)で最初からねじりを入れた状態で輪にし、中心から上下に同時に編み広げていく方法です。通常の輪編みでは作れない「1回ひねりが入ったスヌード(輪状のマフラー)」が編めます。
袋編みと位相幾何学
メビウスの輪だけではありません。編み物には位相幾何学的に面白い構造がいくつもあります。
- 輪編み:円筒(トーラスの一部)
- 袋編み(ダブルニッティング):2枚の布が端でつながった袋状 = 閉じた曲面
- メビウス編み:向きづけ不可能な曲面
編み針という素朴な道具で、位相幾何学の教科書に出てくる曲面が作れる。数学者が編み物に注目するのも納得です。
筆者もメビウスの構造に着想を得て、犬猫用のスヌードを制作しています。180°のねじりが入った輪状のスヌードは、かぶるだけで首元にフィットし、表も裏もない一枚の布が首をぐるりと包みます。
【コラム】袖ぐりの曲線
セーターの袖ぐり(アームホール)の形状は、滑らかな曲線を「何段ごとに何目減らす」という離散的な階段で近似しています。これもまた、連続的な数学(曲線)を離散的な操作(編み目)に変換する例で、円編みの2π離散化と同じ発想です。
まとめ:編み目の中に数学がある
編み物に潜む数学を一覧にすると、こうなります。
| 編み物 | 数学 | ひとこと |
|---|---|---|
| 棒針の号数 | 等差数列 | aₙ = 2.1 + 0.3n(日本の号数体系) |
| かぎ針の号数 | 不規則な数列 | 棒針と違い等差数列ではない |
| 「1号で5%」の通説 | 0.3 ÷ (d+t) | 糸の太さが変化率を圧縮し、合太〜並太で約5% |
| 増し目・減らし目 | 等差数列 | 「4段ごとに1目」は公差一定の数列 |
| プランドプーリング | mod演算 | 色の周期と目数の剰余で模様が決まる |
| 円編みの6目増し | 2πの離散化 | 2π ≒ 6.28 → 6目 |
| 増し目位置と形状 | 正多角形→円 | 位置を揃えると六角形、ずらすと円 |
| フリル | 双曲幾何学 | 面積の余剰がひらひらを生む |
| ミトンの減らし目 | 三角形の収束 | 正方形が点に収束する過程 |
| メビウス編み | 位相幾何学 | 向きづけ不可能な曲面を編む |
編み物をしている人は、意識せずに数列を計算し、円周率を離散化し、幾何学的な曲面を作り出しています。
「編み物は数学だった?」——答えはYes。でも、数学が先にあったわけではありません。何千年もの間、編み手たちが「こうすると上手くいく」と経験的に見つけてきた知恵を、後から数学の言葉で説明できるようになった。
手を動かして、目を数えて、形を作る。その繰り返しの中に、π も双曲面もメビウスの輪も、ずっと前からいたのです。
参考情報
関連書籍
- 『Crocheting Adventures with Hyperbolic Planes』 Daina Taimiņa(A K Peters/CRC Press):かぎ針編みで双曲幾何学を体験する画期的な一冊。数学の知識がなくても読める
- 『A Treasury of Magical Knitting』 Cat Bordhi(Passing Paws Press):メビウス編みの技法を初めて体系化した本。位相幾何学を編み物で楽しめる
- 『Making Mathematics with Needlework』 sarah-marie belcastro, Carolyn Yackel編(A K Peters):編み物と数学の関係を学術的に扱った論文集。双曲面やメビウス編みの数学も
- 『Crafting by Concepts』 sarah-marie belcastro, Carolyn Yackel編(A K Peters):上記の続編。編み物・かぎ針・縫い物を数学の視点から解説
参考URL
棒針・かぎ針の号数
数学×編み物の論文・研究
- Henderson & Taimina “Crocheting the Hyperbolic Plane” (2001)
- Daina Taimiņa - Hyperbolic Planes(Cornell)
- Barb, Cameron et al. “Predicting Planned Pooling Patterns”(Bridges 2024)