万葉集では桜は不人気だった──梅から桜へ、日本人の"推し変"の歴史
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この記事で分かること(3行まとめ)
- 万葉集では梅119首 vs 桜44首——梅が圧倒的人気だった
- 遣唐使廃止(894年)をきっかけに、中国由来の梅から日本古来の桜へ花の主役が移った
- 庶民の花見文化は、豊臣秀吉と徳川吉宗が広めた
「花見=桜」は、現代の日本人にとっては常識です。
しかしながら、1300年前の日本人に「花見に行こう」と誘ったら、おそらく梅を見に行くことになります。
万葉集の時代(奈良時代末期)、花見の主役は桜ではなく 梅 でした。
2月の枝垂れ梅。お寺の石垣から溢れるように咲く
花の好みが梅から桜に移り変わる——いわゆる「推し変」は、いつ頃起こったのでしょうか? 1300年の歴史を深掘りします。
結論:遣唐使廃止が転換点だった
先に結論をお伝えします。
奈良時代、日本は中国文化を積極的に取り入れていました。梅は中国から伝来した花で、漢詩文化の象徴。日本人にとっては珍しく、貴族たちがこぞって鑑賞会を催し、歌にもよく詠まれました。
しかし、894年に遣唐使が廃止され、中国文化からの独立が進みます。
平安時代の「国風文化」の中で、日本古来の花である桜に関心が移っていきました——これが花の好みが移り変わる大きな流れです。
【基礎】万葉集は梅の歌が桜の歌の3倍
万葉集(奈良時代後期の8世紀後半に成立)に詠まれた花の数をみてみましょう。
| 順位 | 花 | 詠まれた首数 |
|---|---|---|
| 1位 | 萩 | 約141首 |
| 2位 | 梅 | 約119首 |
| 3位 | 桜 | 約44首 |
萩が1位 でした。
これは、万葉集では秋の歌が多く、秋に咲く萩は、恋愛の歌の題材にもされやすかったためと考えられています(万葉集の和歌に詠まれる植物ランキング)。
このランキングを見ると、3位とはいえ、桜は2位の梅の3分の1程度しか詠まれておらず、梅や萩に比べると不人気であることがわかります(花を知る場所)。
奈良時代は中国文化を手本にする時代で、遣唐使が大陸の文物を持ち帰っていました。梅は中国から伝来した花であり、漢詩に詠まれる高雅な花で珍しく、貴族たちにとって、梅を愛でることは教養の証でもあったのです。
一方、桜は日本の山野に自生する「ありふれた花」でした。梅に比べるとわざわざ歌に詠むほどのものではなかったのかもしれません。
【歴史】遣唐使廃止(894年)が転換点
894年、菅原道真の進言により遣唐使が廃止されます。
これは単に使節を送らなくなったという話ではありません。中国文化を手本にする時代の終わりであり、日本独自の文化——国風文化の始まり でした。
かなの発達、和歌の隆盛、大和絵の確立。あらゆる分野で「日本らしさ」が模索された時代に、花の好みも変わっていきます。
中国由来の梅から、日本古来の桜へ––。
その変化は、数字にはっきり表れています。万葉集(8世紀)から約100年後に編纂された 古今和歌集(905年) では、
| 桜 | 梅 | |
|---|---|---|
| 万葉集 | 約44首 | 約119首 |
| 古今和歌集 | 約70首 | 約18首 |
桜が梅の数を 大きく超えて います。
古今和歌集では 桜が最も多く詠まれた植物 になりました。万葉集で141首を誇った萩も大きく数を減らしています。
※ 歌数は「花」とだけ書かれた歌を桜に含めるかなど、数え方によって研究者間で差があります。本記事では複数のソースで共通する概数を採用しています。
万葉集の時代、「花」は特定の花を指す言葉ではありませんでした。文脈によって梅にも萩にも桜にもなり得ました。
しかし平安時代以降、和歌で「花」とだけ書けば 桜を指す のが約束事になります。梅は「梅」と明記しないと伝わらなくなりました——それほどに、桜の地位は盤石なものになったのです。
【時間がない方へ】 ここまでで、遣唐使廃止を転換点に梅と桜の人気が逆転したことがわかります。ここからは、平安貴族の花見文化と庶民への広がり を深掘りしていきます。要点だけ知りたい方は「まとめ」へどうぞ。
【深掘り】平安貴族と花見——百人一首に詠まれた桜
平安時代の桜を、百人一首の歌で感じてみましょう。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに ——小野小町
「花(桜)の色は色褪せてしまった。むなしく、長雨を眺めて時を過ごしているうちに」。桜のはかなさと自らの老いを重ねた歌です。
雨に濡れた桜。小野小町が詠んだ「ながめせしまに」の情景
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ ——紀友則
「こんなにのどかな春の日に、なぜ桜は落ち着きなく散っていくのだろう」。
ここで大切なのは、これらの歌で詠まれた「花(=桜)」は ソメイヨシノではない ということです。
現在の桜の主流となるソメイヨシノは、江戸時代末期に生まれた品種で、平安時代には存在しません。
では、百人一首の時代の桜はどんな桜だったのでしょうか?
百人一首の桜は ヤマザクラ が主流だと考えられます。
ヤマザクラとは、白い花と赤い若葉が同時に開く、現代のソメイヨシノとはまったく風情が違う桜になります(この話は第3回で詳しく深掘りしています)。
【深掘り】宮中の花見のはじまり
桜の花見が宮中行事として記録に残る最初の例は、嵯峨天皇の「花宴(かえん)」 です。
812年(弘仁3年、平安時代初期)、嵯峨天皇が神泉苑で「花宴」を催したと『日本後紀』に記録されています。これが宮中での桜の花見の始まりとされています(レファレンス協同データベース)。
嵯峨天皇は漢詩にも造詣が深い教養人でしたが、同時に日本独自の文化にも関心を持っていました。
それまでは花見は梅が主流でしたが、梅ではなく桜を選んで宴を開いたのは、「国風文化」の萌芽だったのかもしれません。
その後、平安時代の宮中では桜にまつわる行事が次々と生まれていきます。
- 花合(はなあわせ):左右に分かれて桜の枝を持ち寄り、花の美しさを競い合う遊び
- 桜狩(さくらがり):山に出かけて野生の桜を探し歩く、現代の「お花見散歩」の原型
- 桜会(さくらえ):桜の下で歌を詠み合う宴。嵯峨天皇の花宴の流れを汲む宮中行事
梅→桜への交代を象徴するエピソードがもうひとつあります。
平安京の紫宸殿——天皇が即位の礼などの重要な儀式を行う、宮中で最も格式高い正殿です。
この庭には、もともと 「左近の梅」 と「右近の橘」が植えられていました。しかし梅が枯れた後、仁明天皇の時代(833〜850年)に桜に植え替えられ、現在の 「左近の桜」「右近の橘」 になりました。
宮中の最も格式高い場所で、梅が桜に取って代わったのも平安の時代に起こった変化でした(令和和歌所)。
【深掘り】庶民の花見は秀吉と吉宗が広めた
では、花見が一般的に広まったのはいつ頃でしょうか?
実は、宮中や貴族の行事だった花見が庶民に広がるのは、ずっと後のことです。
秀吉の「醍醐の花見」(1598年)
豊臣秀吉 が京都・醍醐寺で催した花見は、日本史上最大級の花見として知られています。
1598年(慶長3年)3月15日、秀吉は醍醐寺に 約700本の桜 を移植し、約1,300人を招いた大宴会を開きました。女性たちには2回の衣装替えが用意されるなど、権力を誇示する一大イベントだったとされています。
秀吉が亡くなったのはこのわずか5か月後のことです。「醍醐の花見」は、天下人の最後の華やぎでもありました。
吉宗が桜を「庶民の花」にした
江戸時代、花見が庶民文化として本格的に定着しました。
立役者は 8代将軍・徳川吉宗 です。
吉宗は享保年間(1716〜1736年)に、飛鳥山(現・東京都北区) や 隅田川堤 に桜を植えさせました。これは単なる緑化事業ではなく、庶民に花見の場を提供する政策でした。
享保の改革で質素倹約を推し進めた吉宗が、なぜ花見を奨励したのでしょうか?
この施策は、庶民に娯楽の場を提供することで不満のガス抜きをする狙いがあったとも言われています。
それまで花見は武家や富裕層のものでしたが、吉宗の植樹事業により、江戸の庶民が気軽に花見を楽しめるようになりました。
まとめ:1300年かけて梅から桜へ
万葉集で梅に圧倒されていた桜は、遣唐使廃止→国風文化→平安貴族の和歌という流れで花の中で地位が入れ替わり、秀吉と吉宗によって花見=桜の認識が庶民にも浸透し「国民の花」になりました。
この1300年かけた花の移り変わりは、中国文化からの独立——つまり 日本文化のアイデンティティ形成 そのものと重なっています。桜を愛することは、日本人が「日本らしさ」を見つけていく歴史とも言えるかもしれません。
🌸 桜を深掘るシリーズ
- 桜は国花なのに法律で決まっていない
- 万葉集では桜は不人気だった(この記事)
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- ソメイヨシノは全部クローン
- 桜餅の東西問題
よくある質問
万葉集で最も多く詠まれた花は何ですか?
萩(はぎ)で約141首です。梅が約119首で2位、桜は約44首で意外にも少数派でした。奈良時代は中国文化の影響が強く、中国由来の梅が愛されていました。
花見はいつから桜を見る行事になったのですか?
平安時代初期の812年、嵯峨天皇が催した「花宴」が宮中での桜の花見の始まりとされています。古今和歌集(905年)の頃には桜が梅を逆転し、「花」と書けば桜を指すようになりました。
参考情報
関連書籍
- 『桜の科学』 勝木俊雄(SBクリエイティブ):桜の品種・歴史・生態を科学的に解説
- 『万葉集』 角川ソフィア文庫(ビギナーズ・クラシックス 日本の古典):万葉集の入門に最適な一冊。原文・現代語訳・解説つき
- 『百人一首』 島津忠夫(角川ソフィア文庫):小野小町・紀友則の歌をもっと深く知りたい方に