「日下」をなぜ「くさか」と読むのか?——「日本」の語源かもしれない地名の、1300年の謎
【読了時間:約15分 / 要約のみなら3分】
この記事で分かること(3行まとめ)
- 「日下」を「くさか」と読む理由は、古事記(712年)の時点で既に分からなくなっていた
- 草香・孔舎衙・日下——同じ「くさか」に3つの表記が存在する
- 「日下(ひのもと)」は「日本」の語源と関係がある可能性がある
「日本」はなぜ「にほん」と読むのか——考えたことはありますか?
「日」は「にち」と読めるし、「本」は「ほん」。
消えちゃう音はあるけど、どちらの音も”音読み”の組み合わせで、法則性や納得感はあり、「どうやって読むの?」という疑問はそこまでないはずです。
では、日本と同じ意味※を持つ 「日下」 は?
※諸説あるが、遣隋使の国書に記された「日出づる処」からの「日のもと」=日の”みなもと”というような意味を持つ
「日下」と書いて 「くさか」 と読みます。
「日」と「下」が「ひのした」は、それぞれの訓読みをつなげるので法則性がありますが、「くさか」には読み方の法則性がありません。
しかしながら、「日下」を名字に持つ人もいる(全国に約24,700人。名字由来net調べ)のもあり、実は”難読”であるにもかかわらず読めない人は少ないと思います。が、よくよく考えるとなぜそう読めるのか?は疑問です。
しかも、この不思議な読み方の由来は、1300年前の古事記の編者・太安万侶でさえ「分からない」と匙を投げていた 謎だったりもします。
東大阪の小さな地域に、「日下」という地名があるのですが、調べてみると、 「日本」は同じ「ひのもと」を意味する言葉 で「日本」の国号(国(国家)の正式な名称や称号)にも深い関わりがある——そんな説もあります。
今回は「日下」がなんで「くさか」と読むのか?という素朴な疑問から始まり、日本という国号に関わる説まで深掘りたいと思います!
日下町は、大阪平野の東端、生駒山の西麓に位置しています。難波(大阪湾側)から見て、ちょうど太陽が昇る方角——この位置関係が、後の話で重要になります。
境界データ:国勢調査町丁・字等別境界(総務省統計局) — 日下町(東大阪市)。東に生駒山、西に大阪湾(難波)
結論:古事記の編者も「昔からそうだから」と匙を投げた
712年、古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)は、序文でこう記しています。
亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改
(読み下し)姓に日下と為すを玖沙訶(くさか)と謂ひ……此の如き類は、本に随ひて改めず
現代語に直すと、「日下と書いてクサカと読むのは、昔からそうなっているから、そのままにした」 ということです(古事記序文 — 日本神話の世界)。
由来を説明せず「昔からそうだから」と記述するにとどめた——理由が分からなかったものと解釈されています。この謎は1300年以上、未解決のまま続いており、色々な時代の人が歴史を重ねながら議論を重ねています。
【歴史】3つの「くさか」
次に、「くさか」という地名を調べてみましょう。
「くさか」という地名は、主に大阪府東大阪市の日下(くさか)町周辺を指す古代からの地名として存在します。
※「くさか」という地域は、時代や文脈によって3つの表記が使われてきましたので、今回、あえてひらがなで表記しています。
草香(くさか)——最も素朴な表記
万葉集には「草香山」「草香江」という表記が登場します。
おしてる 難波を過ぎて うち靡く 草香の山を 夕暮れに 我が越え来れば……(万葉集 巻八・1428番歌)
難波から草香の山(生駒山の西麓)を越える旅路を詠んだ歌です。
また、巻四・575番歌では大伴旅人が 「草香江の入江」 を詠んでいます。草香江は現在の日下町そのものではなく、日下町の西側の低地——JR学研都市線と近鉄奈良線の間あたりに広がっていたと推定されています(東大阪市「東大阪の”いまむかし”」)。日下町は草香江の東端、山から降りてきた場所にあたります。
孔舎衙(くさか)——万葉仮名の当て字
「孔(く)・舎(さ)・衙(か)」は、漢字の音だけを借りた万葉仮名です。
それぞれの漢字は、孔=穴、舎=建物、衙=役所という意味を持ちますが、漢字本来の意味とは無関係で、純粋な音写(おんしゃ)です。
※音写(おんしゃ)とは: ある言語の語音(発音)を、別の言語の文字体系を用いて書き写すこと。意味は考慮せず、発音を似せることを目的とした表記法(当て字)です。
実は、日本書紀の神武東征の記述では「孔舎衛 坂」と表記されており、書き手が自由に表記できた音写の副作用で、「衙」と「衛」のどちらが正しいかという問題が残っています。
明治以降の行政名では「孔舎衙村」が採用されましたが、決着はついていません。
日下(くさか)——意味で当てた漢字
古事記・日本書紀では「日下」という表記も使われています。仁徳天皇の皇子・大日下王(おおくさかのみこ) と皇女・若日下部王(わかくさかべのみこ) という名前があり、この表記が古くから定着していたことが分かります。
「草香」が音そのまま、「孔舎衙」が音の当て字(音写)だとすれば、「日下」は 意味から当てた漢字(義訓) になります。
では、なぜ「日下」が「くさか」の意味になるのでしょうか?
なぜ同じ地名に3つの漢字があるのか
同じ「くさか」に3つも表記があるのは不思議に思えますが、古代の日本語の成り立ちを知ると、むしろ 当然のこと だと分かります。
地名は、文字よりもはるか前から 音(ことば) として存在していました。「くさか」という音は、文字のない時代から人々の口伝えで受け継がれてきたものです。
5〜7世紀に中国大陸から漢字が本格的に伝わると、既にある日本語の音に漢字を当てる必要が生まれました。しかし当時は、現代のような常用漢字表も正書法もありません。書く人が、自分の判断で自由に漢字を選んでよかった のです。
結果として、同じ「くさか」に対して3つの異なる戦略が生まれました。
| 表記 | 戦略 | 説明 |
|---|---|---|
| 草香 | 和語をそのまま書く | 「草」も「香」も日本語の意味と音が一致 |
| 孔舎衙 | 音だけを借りる(万葉仮名) | 漢字の意味は無視し、「く・さ・か」の音だけを当てた |
| 日下 | 意味で当てる(義訓) | 「ひのもと(太陽の源)」か「ひのした(太陽の下)」か——意味の解釈自体が分かれており、音との対応も失われた |
*※義訓(ぎくん)とは: 漢字の本来の音読み・訓読みとは異なり、文脈に合わせて「その場限りの意味」を訓として当てる特殊な読み方のこと。漫画や文学などで、文字に別の意味を持たせる際(例:「本気」と書いて「マジ」と読ませる)によく使われます。
現代の感覚では「どれが正しい漢字なのか」と思ってしまいますが、古代にはそもそも「正しい書き方」という概念がありませんでした。同じ音に複数の表記が併存するのは、古代日本語では ごく普通のこと でした。
万葉集だけを見ても、「やまと」に「山跡」「山常」「八間跡」「日本」など複数の表記が使われています。
書き手が変われば漢字も変わる——それが古代の文字文化です。
「日下」で「くさか」と読めなくなっている現代のほうが、歴史的には特殊なのかもしれません。
【歴史】神武東征と孔舎衙坂の戦い
この土地が歴史に登場する最も劇的な場面が、日本書紀・古事記に記される神武東征です。
生駒山を越えられなかった
日本書紀によれば、磐余彦尊(いわれびこのみこと、後の神武天皇)は日向(宮崎)から東へ向かい、難波の白肩之津(しらかたのつ)に上陸しました。
そこから生駒山を越えて大和に入ろうとしたところ、土着の豪族・長髄彦(ナガスネヒコ) が軍勢を率いて孔舎衙坂で待ち構えていました。
「太陽に向かって戦ってはならない」
激戦の末、神武軍は敗北します。兄の五瀬命(いつせのみこと)が矢傷を負い、後に命を落としました。
神武はこう語ったとされています。
「我は日の神の子孫でありながら、日(太陽=東)に向かって戦った。これは天道に逆らうことだ」
西から東へ攻めれば、朝日を正面に受ける。神武は方針を転換し、紀伊半島を南から大きく迂回して、熊野経由で大和に入ることを決めました。
古代の人にとって、孔舎衙坂は 「太陽に向かう道」 でした。
■ 赤線:白肩津から東へ直進し孔舎衙坂で敗北 ■ 青線(破線):紀伊半島を南から迂回し熊野経由で大和へ ●:クリックで地名表示。ルートは日本書紀・古事記の記述をもとに概略を作成
【時間がない方へ】 ここまでで「くさか」の3つの表記と歴史的背景がわかります。ここからは、なぜ「日下」と書いて「くさか」と読むのか を深掘りしていきます。要点だけ知りたい方は「まとめ」へどうぞ。
【深掘り】なぜ「日下」で「くさか」なのか?
3つの表記のうち、「草香」と「孔舎衙」は前章で説明した通り、「草香」は和語そのまま、「孔舎衙」は音の当て字(音写)です。
どちらも「くさか」という音から漢字を選んでいますので説明がつきます。
では 「日下」 はどうでしょうか?
「日下」は義訓——つまり意味から当てた漢字というのは前章で説明したのですが、もう少し詳しく整理してみましょう。
「日」と「下」という漢字を使うことで、何らかの「太陽に関わる土地」という意味を持たせています。ただし「下」の解釈は一通りではありません——「ひのもと(太陽の源・根元)」 と読むか、「ひのした(太陽の下=日陰)」 と読むかで、意味が正反対になります。
そして、どちらの解釈であっても、なぜそれが「くさか」という音と結びつくのか ? これが1300年間、誰も確定的に答えられていない謎になります。
太安万侶が匙を投げたのも、まさにこの点でした。
「くさか」→「日下」の変換を説明するためには、音ではなく意味の変換を説明する”意味”を考える必要がありますが、これには、いくつかの説が提唱されています。
枕詞説(最も有力)
「下」を 「もと(源・根元)」 と読む解釈です。
難波(大阪湾側)から東を見ると、生駒山麓の草香から太陽が昇ります。草香は太陽の昇る場所= 「日のもと」 。そこから 「日下(ひのもと)の草香(くさか)」 という枕詞的な表現が生まれ、やがて「日下」だけで「くさか」と読むようになった——これが現在最も有力とされる説です。
ただし、もしこれが本当なら、万葉集などに「日下のクサカ」という枕詞の実際の用例があっても良いはずですが、見つかっていないため、論証的な弱点があります。
日陰地説(筒井功の新説)
民俗学者の筒井功は、著書『日下を、なぜクサカと読むのか——地名と古代語』(河出書房新社)で別の説を提唱しています。
こちらは「下」を 「した(下方)」 と読む解釈です。
全国のクサカ地名をフィールドワークで調査したところ、日陰になりやすい地形に分布する傾向 がありました。「クサ」は「カサ(笠・傘)」と同源で「日陰」を意味するのではないか、という説です。
生駒山の西麓にある日下は、午後になると山の影に入ります。「日の下(した)=日陰の土地」で「くさか」——枕詞説の「ひのもと(太陽の源)」とは正反対の発想ですが、実地調査に基づいています。
その他の説
これ以外にも下記の説があります。
- 草の略体字説: 「日」は「草」の簡体字(草冠と十を省略した形)であり、「日下」=「草下」=「くさか」とする説
- アイヌ語説: クサ=船で渡る、カ=岸。古代に草香江という入江があったことと整合するが、少数説にとどまっている
どの説も決定的な証拠がなく、太安万侶が匙を投げてから1300年、謎は謎のままになっています。
【深掘り】「日下」と「日本」——国号の起源
枕詞説をもう少し掘り下げると、思いがけないことにたどり着きます。
「日下」は「ひのもと」とも読めますが、国名の 「日本」もまた「ひのもと」 という読み・意味を持っていることに関連性があるという説が見つかります。
難波(大阪湾側)から見て、太陽が昇る方角——生駒山麓の草香こそが「ひのもと」だったという説。——やがてこの言葉が一つの地名を超えて、国全体を指す言葉になったのではないか、という説です。
確定した学説ではありませんが、東大阪の小さな地名が「日本」という国号と地続きかもしれない——。
そう考えると、見える景色が変わってきますね。
【深掘り】「日下」を名乗る氏族——日下部氏
地名から少し離れて、「日下」という漢字を名乗る氏族の話をします。
古墳時代、仁徳天皇の皇子・大日下王(おおくさかのみこ) と皇女・若日下部王(わかくさかべのみこ) のために 御名代部(みなしろべ) という奉仕集団が設けられました。この御名代部が 日下部氏(くさかべし) の起源とされています(日下部氏 — Wikipedia)。
日下部氏は全国に広がりました。但馬国(現在の兵庫県北部——「神戸」の由来記事で触れた5国統合の「但馬」です)に根付いた但馬日下部氏からは、越前の戦国大名・朝倉氏 が生まれています。現在でも「日下部」「日下」は名字として約2万人が使っています(名字由来net)。
ここで気になるのは、地名の「日下」と氏族の「日下部」に直接の繋がりがあるのかどうか です。
調べてみると、大日下王の名前の「日下」が東大阪の日下に由来するかは確定していません。研究者からは「『日下』は各地に存在した一般名詞的な地名だった可能性がある」との指摘もあります(理系脳で紐解く日本の古代史)。
ただ、どちらも「くさか」という音に対して意味から「日下」という同じ漢字を当てている という点は見逃せません。
「太陽に関わる土地」という意味で「日下」を選ぶ——その発想が、地名と氏族で偶然一致したのか、それとも何か繋がりがあるのか。
もし繋がりがあるなら、東大阪の小さな地域から全国に広がった氏族の物語ということになります。もし偶然なら、「日下」という義訓が古代人にとって自然な発想だったということになる——どちらにしても面白い話です。
【深掘り】孔舎衙坂はどこにあるのか?
神武東征の戦場「孔舎衙坂」の正確な場所は、実は確定していません。
顕彰碑の場所(善根寺町付近)
1940年(皇紀2600年)に文部省の聖蹟調査事業で、東大阪市善根寺町付近に碑が建てられました。旧近鉄孔舎衛坂駅の近くです。
ただし、「山の中で狭すぎる」「大軍が戦闘できる地形ではない」という批判があります。
暗峠(くらがりとうげ)説
一方、研究者の間では 暗峠(くらがりとうげ) 周辺を戦闘地とする説もあります。暗峠は生駒山を越える主要な直越え路(ただごえみち)で、軍勢が通過できる道幅があり、地理的にはより合理的です。
もっとも、神話上の出来事であり、考古学的な証拠で確定するのは困難です。「どこで戦ったか」よりも、「太陽に向かって戦ってはならない」という物語の意味のほうが重要なのかもしれません。
【深掘り】現地に残る「くさか」の痕跡
孔舎衙小学校・孔舎衙中学校
現在の行政地名は「日下町」ですが、地域の学校名には 「孔舎衙」 が残っています。東大阪市立孔舎衙小学校、孔舎衙中学校。おそらく日本で最も読みにくい学校名の一つです。
孔舎衛坂駅(廃駅)
かつて近鉄奈良線(旧・大阪電気軌道)に「孔舎衛坂駅」がありました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1914年 | 「日下駅」として開業 |
| 1918年 | 「鷲尾駅」に改称 |
| 1940年 | 「孔舎衛坂駅」に改称(皇紀2600年の聖蹟顕彰に合わせて) |
| 1964年 | 新生駒トンネル開通に伴い廃止 |
駅名が3回変わり、最後は廃止。しかも興味深いことに、地名は「くさか」なのに、駅名の公式な読みは 「くさえざか」 でした(孔舎衛坂駅 — Wikipedia)。「くさか」という地名が辿ってきた複雑な歴史を象徴するようです。廃駅跡は近鉄石切駅から徒歩で訪れることができます。
古代の河内湾
生駒山の西麓は、縄文時代には 河内湾 という海に面していました。日下町の西側の低地まで入江(草香江)が広がっており、難波から船で草香江に入り、生駒山を越えて大和に至るルートは古代の主要交通路でした。
梅田の由来記事で紹介した河内湾の変遷図と同じ時代の話です。6,000年前の大阪平野は、今とはまったく違う姿をしていました。
まとめ:太陽が昇る土地、くさか
「日下」を「くさか」と読む理由は、1300年前から謎でした。
- 草香 ——草の香る土地として
- 孔舎衙 ——万葉仮名の当て字として
- 日下 ——太陽の源(ひのもと)か、太陽の下(ひのした)か——意味を込めた義訓として
同じ「くさか」に3つの漢字が当てられています。それぞれの時代が、それぞれの意味を込めてこの土地を呼んできました。
そして「日下(ひのもと)」は、もしかすると「日本」の語源にも繋がっているかもしれません。東大阪の小さな地名に、国の成り立ちが隠れている——地名というのは本当に面白いです。
友人から「孔舎衙って知ってる?」と聞かれたのがきっかけで調べ始めましたが、まさかここまで深い話になるとは思いませんでした。
よくある質問
「日下」はなぜ「くさか」と読むのですか?
最も有力な説は「枕詞説」です。生駒山麓の草香(くさか)から太陽が昇ることから「日下(ひのもと)の草香」という枕詞的表現が生まれ、やがて「日下」だけで「くさか」と読むようになったとされています。
ただし、712年の古事記の時点で既に由来が分からなくなっており、諸説あります。
「孔舎衙」と「孔舎衛」はどちらが正しいですか?
日本書紀では「孔舎衛坂」、明治以降の行政名では「孔舎衙村」が採用されました。どちらが原形かは未決着で、「孔舎衛」は「孔舎衙」の誤写ではないかという説もあります。
孔舎衙坂の戦いとは何ですか?
日本書紀・古事記に記される神武東征の戦闘です。神武天皇が生駒山を越えて大和に入ろうとした際、長髄彦(ナガスネヒコ)に阻まれて敗北しました。「太陽に向かって戦ってはならない」と方針を転換し、紀伊半島を迂回して大和に入るきっかけとなった戦いです。
参考情報
関連書籍
- 『古事記』 倉野憲司 校注(岩波文庫):太安万侶の序文原文を確認できる定番の校注本
- 『万葉集 全訳注原文付(全4冊セット)』 中西進(講談社文庫):巻四・575番歌(草香江の歌)が収録。現代語訳付きで読みやすい
- 『地名の語源』 鏡味完二・鏡味明克(角川小辞典):地名研究の入門書として定番
- 『日本語の起源 新版』 大野晋(岩波新書):「くさか」「ひのもと」の語源に絡む日本語の古代語論
- 『日下を、なぜクサカと読むのか——地名と古代語』 筒井功(河出書房新社):全国のクサカ地名をフィールドワークで調査し、日陰地説を提唱した一冊